1997.6/7
部活の本番を終え帰宅すると一通の手紙が。封筒には「日経BP社」とある。ふう、またか。わかっていてもつらいんだよな、と寂寥感に襲われる。宝島社、「残念ながら今回は・・・」扶桑社、「履歴書をお返しします・・・」三笠書房「あなたにとって残念な・・・」ああー!もういい加減にしてくれ! 確かに俺は志望書書くのに締め切り前日の徹夜で切り抜けたし筆記試験だってまともに対策せずに臨んでたさ。自分がすべて悪いんじゃ、ハッハッハ。ん、「速達」って書いてあるな。何で速達なんだ? 今までは普通郵便だったのに。そりゃ落ちた奴に金かけてもしょうがないもんな。とりあえず開けてみる。紙切れが一枚。どうせ透けて見えるのは「残念」の二文字だろう。お、「ご案内」が見える。一気に紙を開く。ドヒョエー!!! 通過してる!!! PHPが結構いいところまでいっていて「ま、内定だな」なんて勘違いしていたときに受けた試験。一般常識は見直ししなかった。英語は一気に訳しておしまい。作文も思い付くままに書いただけ。自己紹介書もほとんど適当。通過したのって何人だ? と思ってマス読を調べる。96年度、1000人が140。97年度、1000人が162。ますます悩む。何書いたか覚えていない。作文さえもだ。これが縁というものか。これから本気で志望動機を練る、企業研究をする。せっかく当たった宝クジだ。大事に使わせてもらいます。
CSK、筆記通過。唯一受けてる大企業といっても過言ではない。一部上場してるし。さて、どうするか。まだ電話を入れてないんだよね。そろそろナガセの拘束も始まるし。一度しかない人生だ、やるだけやってみるかな。
1997.6/7
毎日コミュニケーションズ面接。11:40分というやや余裕の時間設定で助かる。最近やけに眠い。小学館のビルを横目に面接会場へ。小学館は書類選考通っただろうか。それにしてもあの女子高生・・・って自分が悪いんだっつーの。面接会場にはいくつかのブースがあった。やや年輩の人と若い人の2人が面接官だった。なかなか良い人で助かる。どうも圧迫だと負けん気がでて失敗してしまうからだ。アスキーの圧迫は凄かった。PHPの圧迫にもたじろいだ。結局自分が甘いんだけどね。京都に発つ前に急いで書いたエントリーシートに不安はあったがすいすいと面接は進む。そして試練はやってきた。私が一番苦手な質問「最後になにか質問や言いたいことはありますか?」、やばい。とりあえずセミナーがあまり良い出来ではなかったので、まだ分からない点を質問する。ふう、なんとか切り抜けた。と思ったらまた「まだ何かありますか?」うきょー、もう無いっすよ。何か何か何か・・・「大袈裟な話しになりますが、日本を良くしたいです」どひょぇー!なに言ってんだ俺。「いいひと」の見過ぎか? それを受けての面接官の言葉。「もしご縁があって次に進まれましたら、会社を大きくしたいとかそれを通じて自分も大きくなりたいとか言ったほうが良いですよ」。ちなみに「もし」を強調していたような気がする。さらばMYCOM、好きだったのに。
1997.6/11
毎日コミュニケーションズ通過の連絡。これだから面接は分からない。アドバイスを頂いたのでそれを生かさなくてはね。明日は日経BP面接。朝早い。しかしパソコンをいじったりしているうちにこんな時間(25:47)。まだ志望動機も練ってない。第一通ると思ってなかったもんで何を志望書に書いたのか覚えてない。読んでる雑誌とか適当に書いてしまった。ボロボロにされに行くつもりでドーンといくかね。
1997.6/11
日経BP最終面接。至る所で「圧巻」だという噂が流れているが、そのとおりのものだった。35人ほどがまず集められてから10人ずつ控え室へ向かう。そこから1人ずつ面接会場へ行くのだ。人事の方にドアを開けてもらうと18人の面接官達。当然社長も目の前に座っている。椅子の前にある演台のせいだろうか、まるで証人喚問をされているような気分になった。矢継ぎ早に飛んでくる質問。志望動機を簡潔に述べてからの「それできるの?」という切り返しに「できます!」と力強く答える。購読雑誌についての質問を軽くこなし何とかなるかもしれんという思いが浮かんできた。そして大フィーバー。
「華奢な身体してるけど健康は大丈夫?」「はい。勉強にアルバイト、部活動とハードな大学生活ですが・・・まだまだ、余裕はあります!」
あらま、一同爆笑!
なぜ? うーん、悩んじゃうぜ。
「成績は優の数とか多いほうなの?」「自分で言うのもなんですが、上の・・・下です!」
またも、一同爆笑!
面接終了。笑いをとったからといって通らないのが面接の妙。のんびり結果を待ちます。もしここの内定が出たら、文句無く活動終了を宣言できるんだけどね。この後しばらく予定が無い。17日の毎日コミュニケーションズ二次面接までなーんにも。おおっと、忘れてた。集英社の会社説明会と小学館の書類選考通過待ちがあった。う、PHPの期限が明日だ。未練というのは厄介だね。
1997.6/13
日経BP通過。今度は健康診断だ。なんだか実感が湧かない。やはり就職は縁なのだろうか。受かると思ってなかった筆記を通過し、通ると思ってなかった最終を突破。志望順位で言えば堂々の一位で頑張ってはきたが、すでに憧れの域だった。健康診断で余程のことが無い限りは大丈夫だろう。ただ血圧がかなり低くてやや心配。ま、検査に引っ掛かるだけで日常生活にはなんら支障が無いのだけれど。ここまできてこれを理由に内定取り消されたら泣くよ。だったらはじめから通過させるな!、ってね。もう少し落ち着いたら就職活動関連のページをまとめようかな。
1997.6/14
ナガセから内定者懇談会のお知らせが到着。出欠の確認は16日の19:00まで。はっきりいって私はナガセが好きだ。社長も副社長も人事の人も社員も良い人ばかりで夢もある。やりたい仕事もできる。日経BPがまだ「内定」になっていない以上、出席の連絡を入れなくてはならない。二次面接の段階の毎日コミュニケーションズも仕事の内容は魅力的だ。ナガセの人事部長に「よろしくお願いします」と握手されたときの光景が忘れられない。辞退者を見越して内定を出しているというがナガセはどうなのだろうか。「ナガセでやりたいことを実行に移せば、教育のコンテンツメーカーとしてディファクトをとることができるだろう」、そんなことを思うほど自分ができる仕事に自信があった。ナガセはまだ発展途上の企業だ。舵取りを誤れば一気に経営が苦しくなることは想像に難くない。振ろうと思ったとき、その相手への気持ちが分かるもんだけどね。
1997.6/17
毎日コミュニケーションズ二次面接と日経BP健康診断。結局健康診断だけで一日が終わる。「人事部に来て下さい」と言われたので「一体どうするんだ?」なんて思っていた。そしたらビックリ、なんと診療所がある!! 立派な病院だ。そしてフルコース。血圧・脈拍、身長体重、心電図、検尿、聴力、視力・色覚、X線、診察、採血・・・。急いで来たせいか血圧が159/63とやや高め。計り直すと今度は86/52と低め、非常にやばい。なんでも検査の結果異常が見つかったら合否に関わらず結果を教えてくれるとのこと。場合によっては病院も紹介してくれるって。ううっ、なんて良い会社だ。結果が出るまで2週間はかかるとのこと。血液と尿の分析だろうね。でもどうなるんだろう。「かなり良いところまで来ているということです」と人事の人は言うし、聴力を計るときに見たリストには3日でせいぜい20人ほどしかいなかった。だいたい内定者は例年30人強なんだよね(マス読による)。技術経由が半分としても・・・、うーん、わからない。それに最後に筆記と面接、健康診断の結果を合わせた総合判断をすると言っていたけど、筆記がやばいって。面接は文句無しだけど筆記はたぶんボーダーだろう。あー、こんなことならちゃんと臨めばよかった。ま、宝くじだからしょうがないか。20日はナガセの内定者懇談会。できればこの日までには決着をつけたかった。そういえば小学館の書類選考を通過、筆記試験を受験できることになった。あんなんで通るなんて・・・ホント、勢いって凄い。断じて行えば鬼神もこれを避く、ということか。
1997.6/20
ナガセ内定者懇親会。日経BPの結果が気になるところだがとにかく出席。家を一歩出ると傘が吹っ飛んでいった。なんてこったい、台風の真っ只中に出かけなくてはならないなんて。念のため人事部に電話を入れると「やりますよ、電車止まってます?」と言われてしまう。やっぱりやるのか、うーんブルー。会場は京王プラザホテル、形式は立食パーティ。内容については割愛。べらべらしゃべることでもないしね。ま、ナガセは良いところだということは分かった。内定者達は一癖も二癖も有りそうな人々ばかり。私は人事のおねーちゃんが気に入っているので個人的にはお近付きになれて嬉しい。こういう拘束がいちばんつらい。断りづらくなることうけあいだもの。ただ50人ほどいたのでおそらく辞退者を見越して採用している模様、だといいな・・・。
1997.6/22
小学館筆記。前夜の長電話でやや寝不足。ただ有意義なものだったので気分は爽快だ。余裕をもって家を出た。が、見事に受験票を忘れる。まったく進歩がない。ただ気分は落ち着いている。こういった大きな筆記試験では受験票のチェックをしないからだ。今までの練習は無駄になってはいない。失敗もたくさんしたからね。やっぱり場数は踏んでおくに限る。それはさておき、たいていは受験番号さえ分かっていれば大丈夫なのである。入場チェックを済まし、着席して気を落ち着かせる。「さてと、筆記用具を出そうかな」筆入れを開けシャーペンを出す・・・ん、無い! おお、そうだ家で使ってそのままだ~、と隣を見ると女の子。「あのすいません、シャーペンかなんかありませんか?」、早速ゲット。いかんいかん、ケアレスミスは動揺する。そのとき、前にいる試験管の人が我々に向かって放ったのは「鉛筆と消しゴム無い方いらっしゃいますか」とのありがたいお言葉。良い会社だな、と思ってしまう。単純だね。試験自体はSPI・三題噺・キャプション付けの三本立て。なんとSPIはリクルート・シーズスタッフとほとんど同じ! 楽勝だった。三題噺のお題は「利益供与・ムツゴロウ・抱腹絶倒」で、出来はまあまあ。キャリア組の新人刑事がテロでボロボロの警察署に赴任してきて、「お前はムツゴロウ刑事だ」と課長に言われ、散らかり放題の部屋を掃除しているときに「抱腹絶倒!!プロ野球を10倍楽しく見る方法」を見つけて感慨に浸っているときにサブマシンガンを持った殺人犯が逃走中との通報を受け早速出動し、ブラインドの隙間から外を眺めた課長が「給料が安いうちに殉職ってのが国民に対する利益供与さ」とつぶやくという意味不明なストーリー。時間が足らず落ちが弱かったのが残念だ。キャプションは「重油で汚染された海岸を清掃するおばちゃん」の写真と「アメリカの中流家庭っぽい家の前の飛行機」の写真の2つに対するもの。前者は、おばちゃんが雨合羽とバケツを装備していることに目をつけて「苦悩する住民とは裏腹に笑いの止まらない雨合羽屋とバケツ屋」とさばき、後者は飛行機にプロペラがついていないことに目をつけて「優雅だなと思った人、よく写真を見て下さい。プロペラはありませんが、”ゆとり“があります」とした。たぶん車に翼をつけただけで飛べないんだろうと解釈して、遊び心がある人の所有物だということに決めうち。もう体力の限界を感じ一気に書き上げたまま終了時間を待つ。講談社と掛け持ちしている人が教室を飛び出していく。私もついでに飛び出す。部活へ急ぐだけなのであるが・・・
1997.6/25
JobWebの掲示板を見ると「小学館の結果が来ている」とのこと。家を出ようとした2時現在通知は来ていなかった。ふと時計を見ると電車に乗り遅れそうな時間。急いで階段を降りて家を出ようとすると封筒がポストに入っていた。ん、速達だ。小学館だ! とりあえず封筒を持って改札をくぐり電車に乗る。一息ついて封筒を開ける。「次回面接を下記の通り予定・・・」、通ったか。今回は結構自信があったからひっくり返るほど驚くことはなかった。作文もまあまあ、SPIも楽勝。キャプションもうまくいったからね。こうなると問題は提出してある志望書。コピーも取ってないし、無理矢理出したもんだから内容は適当。やばい、ほんとにやばい。突っ込まれたらおしまいである。表情一つ変えずに「それは~だからです!」などと嘘八百並べなくてはならないのかなぁ。評論も「ヤングサンデー」のマンガを題材にしてしまった。「マンガ志望です!」というわけではないのだが。いまから小学館の研究なんかまともにできやしない。1次は編集長クラスなんだよね。1番突っ込み厳しいんだろうな。早く日経BPの結果、来てくれ!!
1997.6/26
来た。日経BPの結果が来た。通った。内定だった。信じられない。「雑誌ジャーナリズムセミナー組では最初の内定者です」、泣けてきた。就職活動を始めるにあたり、ハンデは乗り越えられるものだと信じて選考に飛び込んでいった。でも心のどこかで不安だった。特にマスコミの世界を目指す私にとっては。やるだけのことはやった。筆記を突破し面接では片っ端からツッコミをかわし笑いをとってきた。とどめのお礼状も「かもメール」で出した。これでだめならもうマスコミは諦めよう、そう思っていた。ナガセも良い会社だ。自分の好きなことができる会社だ。社長さえ説得できればなんでもできる会社だ。悔いはなかった。ところが奇跡は起きた。いや起こしたんだろう。就職活動中のこれを読んでいる人へ言いたい。自分を磨き、ボケとツッコミをおぼえ、文章力と教養を身につければ恐れることは何もない。自分の夢を追ってほしい。内定をもらったときに身体中が震えるような内定を獲得するために。慰めが必要なときもあるが甘えてはいけない。つらいときにこそ叱ってくれる友人が、恋人が必要なのかもしれない。
1997.6/28
小学館1次面接。約3000人が受験した筆記試験で散った人数は2400人ぐらい。およそ600人が1次面接を受験することになる。朝起きると脳味噌がとろけそうなけだるさとのどの痛み。うーん、風邪だ。2,3日前からなかなか直らなくて困っていたのだが。直らないどころか悪化してるぞ! ふらふらになりながら神保町へと急ぐ。食欲も無い。気休めにポカリスエットを一気飲みしていざ小学館1階ロビーへ。200人ほどが部屋の中に待機。その中から20人ぐらいずつ各フロアの面接会場へ。1階につき複数のブースがあって面接官は30~40代の編集長・課長クラス。風邪で頭がぼーっとしているまま面接に突入。出版社の面接は圧迫ばかりだったからついつい身構えてしまう。志望書に書いたことをもとに質問が飛んでくる。志望書には自信がある。なにしろ仕掛けたっぷりだから。ただ小学館は「仕事をする上で1番いい環境とはなんですか?」という項目に「結婚しようかな、って思わないほど忙しく充実した日々」と苦し紛れに無茶苦茶書いてしまったのが気がかり。やはりそこも突っ込まれてしまい、「結婚しようかな・・・といって逃げ場のような形で結婚するのではなく、自分の好きな仕事を必死にやっているうちに接点が多い女性と結婚できればいいな、ということです」と答えると、「結婚は逃げ場ですか・・・」と寂しげな表情。あちゃー、ハズしたかなこりゃ。でもうなずいてもいるし。パソコンのスキルについてもかなり突っ込まれた。が、なんてったって十八番である。どんなツッコミにもボケられる土俵なので楽勝。最後に質問をし、なんとなく上手くいったんじゃないの感を醸し出しながら終了。ところがこれで終わりではない。筆記がまだあるのだ。会場を移動しての聞き取り要約と入社してからのやりたい仕事を用紙に記入する作業がその内容である。例年クレペリンが行われているので、てっきり今年もそうかと思いきやそうではなかった。頭はガクガク身体はボロボロ。クレペリンなんかできる状態ではなかったので天佑神助といったところ。要約は大学受験からの得意技だったのであまり頭を使わずにこなすことに成功したので結果的に筆記もなかなかの出来。この会場で高校時代の友人と会い「奇妙なところで会うね」と言われる。「マスコミ受けてんの?」と聞くと「いや、ここだけ」だって。こいつはかなりデキルやつで自分のやりたいことしかしない。やりたい勉強ができるといっていわゆる三流大学に入学したのだ。大手の内定もいくつかもっている。差別のことは言っていたが「そんな理由で俺を採らないと数十億は損するな」と豪語していた。確かにそれはそうかも、と思ってしまう私。茶髪で生意気・喧嘩っ早いのがいけない気もするんだけど。