このページを読んでいる人に聞いてみたい。あなたは「全日本空手道選手権」と聞いてピンときるだろうか? こないだろう、きっと。では「K1グランプリ」ならどうだろうか。おお、それなら聞いたことが見たことが、とちらほら手が上がるかもしれない。そのK1でアンディ・フグをKOしたフランシスコ・フィリョの所属している極真会館が主催するオープントーナメント、それが「全日本空手度選手権」だ。前置きはこのくらいにして本題に入ると、要はその試合のBGMを担当する役目を我が部が負っているのである。1年生の時から毎年出演し続けて早4年、君が代を吹くのも蛍の光をエンドレスで顔が震えるほど吹くのももうこれでお終いだ。「男の道」「あゝ極真の道だから」「押して忍んで空手道」なんていうこぶし効かせまくりの曲との付き合いも最後となった。田代まさしにも長嶋一茂にも藤原紀香にも、もう会えない(と思う)。
これで11月30日の定期演奏会までノンストップである。次に本番を終えた後は引退となるのだ。そろそろ終わりが見えてきた。もっともアンコン都大会が来年あったり、母校(高校)の賛助があったりと楽器はしばらく続けるのではあるが。だがそれも社会人になるまでの線香花火に過ぎない。さすがにこの頃になると、楽器を続けることが出来る仕事がうらやましくなったりもする。さて、どうなることか。
ギャルドの演奏会で悲喜こもごも。1曲め、「ローマの謝肉祭」。あんまり良い編曲じゃない。2曲め、組曲「カルメン」、どうも上手くないな。3曲め、「ダフニスとクロエ第2組曲」、物足りない、物足りないぞ! 4曲め、「海・第3楽章」、てめえら手抜きしてんじゃねー!!、5曲め、「ボレロ」、やれば出来るじゃねえかやっぱりさっきのは手抜き三昧かい!!! アンコール、最高、ずっと聴いていたい。
別にあのセクションがどーのこーのとつまらん批評を加える気は毛頭ない。批評の原稿書きに行く先生方とは違う。私はただ憂き世を忘れて幸せになるために東京芸術劇場に足を運んだだけ。ただ、ただね、はっきりと手抜きと分かる演奏をしないでくれよ頼むから。最後までボロボロだったらだったで「ギャルドも落ちたね」で済む話だけど、「ボレロ」のトロンボーン・ソロが終わった後から違うバンドのように豹変するなんて。あんな「カルメン」でブラボー叫んだやつが居たのには参った。ほんとに参ったよ。あんな演奏ブーイングで迎えてもいいくらいだ。
これで「バンドジャーナル」とか「バンドピープル」あたりが「ギャルド王者の貫録」なんていう提灯記事ぶら下げた日には気を失うね。是非叩きまくってもらいたい。前にウィーンフィルが手抜きをした時には「音楽の友」を筆頭にバッシングをしたのだから。最後に言っとくとかなり「お得な」演奏会だったことは確かである。「ボレロ」は秀逸だったしアンコールは名人芸(ホルンを除く)を堪能できた。ただ演奏会全体で評価すると、おいしそうなタイトルにつられていくと工事中だらけのホームページのごとき、であった。演奏会終了後、幸福感が湧いていただけに残念だ。そういうもんだ、と納得するほど場数を踏んでいない・・・のか?
「1812年」をステージで吹くトロンボーンは4人。90人弱の編成でこの人数は見た目で言うとかなり寂しいものがある。では音量ではどうか。1+1が2になるような状態、つまり全員が同じ吹き方をして同じ音量で演奏した場合はこの計算式は成立する。しかしそうはいかないのがアマチュア。バラバラのまま人数だけ増やしても音を消し合うことになってしまう。だから4人というのはかえって楽なのだ。
定期まであと10日を残すのみとなった。あと10日、やっと楽器の吹き方が分かりかけたと思ったら、あと10日。まだアンサンブルコンテストの都大会もあるし高校の賛助に出る可能性もある。楽器をすぐにやめるわけではないのだ。とはいえ、あのメンツ、あの指揮、あのホールで吹くということは、おそらく無い。
あれほど寂しい思いをするとは予想だにしなかった。独りぼっちの誕生日にプレゼントが届いたとする。包みを破きたい気持ちを押さえながらそっとリボンを外しラッピングをたたむ。中身は空っぽ。
全国大会で演奏した「青銅の騎士」を合奏した。生まれる音楽に、震える魂に、期待をかけながら。が、何も無かった。ただ音符が並んでいっただけ。
案の定、先生は怒っていた。悲しんでいたのかもしれない。その指揮棒からは信じられないほど多くの音楽が流れ出していた。その流れをそっと味わい感じることができるようになったのはつい最近のことだ。暗記から理解に昇華したと思ったら別れがやってくる。それなのに、大事な宝物を捨てた。そうと知りながら捨てたのだ!
明日は定期演奏会だ。引退することを感傷的に書くのは多少気が引けるが、誰もが今までに引退しているだろうし、いつかは引退する。これは「ああ、そうだったな」と思う人や「実感湧かない」という人に向けての独り言だ。もともとこのページの名前は「吹奏楽のための独り言」だった。規模が大きくなるにつれて文章は「である」調になり、我が部のイメージを不当に貶める表現を避けるようになった。とはいえ汚い部分を無理に隠しているわけでもなく、素晴らしい部分をことさら強調しているわけでもない。吹奏楽をやっている人それぞれの「我が部・我が団体」があり、情熱を持った人間が集まっている以上はつまるところ生まれるものは本質的に同じだ。
大学の部活であるから思い出の時間的な幅は3年間強である。4年になってから迎えた行事全てが「最後」だったのだが、感慨に浸ることも無く今日まで楽器を吹いてきた。今日も練習を終えみんなと駅に向かって歩き、家に着いた。これを書いている今、胸が苦しくて仕方が無い。まだ明日は本番が残っているのに。
「本日はご来場頂き、誠にありがとうございました・・・」、終演後のアナウンスが流れ、「さて」と立ち上がろうとしたその時、拍手がホールに響いた。あたたかい音だった。もう二度と同じステージで楽器を吹くことの無い仲間たち。最後の演奏会が私にくれたものは、視界をぼやけさせた雫だった。