吹奏楽関係者の方へHOME

 私はとある東京の大学の吹奏楽部に所属していました。楽器はトロンボーンです。正式な部のページが立ち上がっていますので、このページは「非公認・裏ホームぺージ」としてアンダーグラウンドな独り言を綴ってきたものです。

INDEX-迷走の軌跡-

現役時代の日記
96.8月~9月の日記 97.7月の日記
96.10月~12月の日記 97.8月の日記
97.1月~2月の日記 97.9月の日記
97.3月~4月の日記 97.10月の日記
97.5月の日記97.11月の日記
97.6月の日記 97.12月・98年1月の日記
コラム
私が愛した曲たちHOT!
新国立劇場GP鑑賞体験記
北海道演奏旅行回顧録

*ブラス!-1998/12/30-

 ずいぶん間があいてしまった。楽器を吹かなくなると書くことがなくなる。演奏会にせっせと出掛ければまだネタもあるというものだが,それさえも月に一,二度あるかないかでしかない。個人的には存続の危機にあったこのページだが,ここ1週間でずいぶんネタがたまった。一気に書くとまたスッカラカンになってしまうので,少しずつ蔵出しをしようと思う。

 第一回の今夜は,ノスタルジーで攻めてみよう。映画である。最近どうも映画の話が私の周りでかしましい。そこで夜な夜なTUTAYAに通い,映画を見まくっている。昨日,季節柄(?)泣ける映画を中心に物色していたところ,ふと目に留まったのが「ブラス」だった。(以下,まだ見ていない人は注意)

 まだ現役だった頃,映画館で見たことがある。その時はあまり泣けなかった。みんながみんな「良い」というものだから斜に構えていたところがあったのかもしれない。なんだよ最後はそうくるかい,ってなもんだったような気がする。なんか記憶が曖昧だ。いいこととわるいことしか憶えてない。一番大切だった日常が真っ先に砂のように飛んでいく。ブラスもそんな砂の一つだった。

 今,楽器を吹くのをやめた自分に何を見せてくれるのか,そう思ってブラスを借りた。泣いた。映画としての評価は変わらないが,それだけが違っていた。何かの想いをのせて楽器を吹く楽しさを,悲しさを,思い出して泣いた。

P.S. ちなみに「ラジオの時間」でも泣いた。「創り出す者」の哀しみを語る場面ですっと涙が出た。ただし。シチュエーションドラマとしての評価は辛い。途中でスローモーションになるシーンが一度だけある。あれはダメだろう。あれがすべてをぶち壊してる。と,私は思うが何か深謀遠慮があるのかもしれない。


*学芸会か、音楽会か-1998/3/29-

 うたたねのような生活が終わりを告げようとしている週末、母校(高校)の定期演奏会に賛助で出演した。例年OB・OGは出演できないのだが、35周年記念の演奏会ということで合同ステージが設けられたのだ。メインの曲として、やや難度の高い「大序曲1812年」が選曲された。演奏会終了後の飲み会で、とある先輩がこんなことを言った。「学芸会だと思ったでしょ?」

 その人は出演者ではない。聴衆としての意見を述べただけに過ぎない。しかし、私は何も言い返せなかった。「苦しむのを見ているのが楽しい。それが高校生の部活だ」という現顧問とOB・OGとの溝は深い。ここでいう「苦しむ」の一例は「学生指揮者」の苦悩だ。いきなり指揮者に選ばれ、自分の楽器を吹く時間を削って棒を振り、最小限身につけるべき知識を試行錯誤しながら非効率的に身につけるしかない彼女達。そう、「達」なのだ。ひとつの演奏会に4人もの指揮者が登場する。棒を振っている間は楽器を吹けないという負担を分散するのがその目的だ。残念ながら、指揮者は敬遠される役職になってしまっているのである。指揮者に対する不信感は音楽を徹底的に破壊する。悲しいくらいに。

 「高校生らしい部活動」、確かに一理ある。しかし、音楽を聴きに来たお客さんはどうなる。手を尽くしての結果ならともかく、あえて遠回りをさせられた到達点を演奏として聞く聴衆はどうなるのだ。そんな思いを「先」を知らずに満足(!)している現役に言うわけにもいかず、「頑張ったね」と、声をかけるしかない。


*楽劇へのいざない-1998/7/12-

 楽器吹きから手を引いて早数ヶ月。できることといったら,演奏会に足を運ぶか,CDを聴くか,ぐらいしかない。そこで友人が所属するオーケストラ,新交響楽団の演奏会に行った。場所は東京芸術劇場,昨年の11月ぶりである。あの時は舞台の上にいた。今は客席に夢を見に来た聴衆のひとり。

 曲目はワーグナーのニーベルルングの指環。私はオペラや楽劇にはトンと疎い。予備知識ゼロだ。せいぜい「ワルキューレの騎行」を知っているぐらいなもの。多少不安はあったが,のほほんと聴いて十分楽しんだ。新交響楽団はアマチュアといっても限りなくプロに近い表現をする。その昔ストラヴィンスキーの「火の鳥」を全然期待せずに聴いてたまげたことがある。今回は「良い音楽をする」のを知っているだけ聴き方は辛め。それでもなお,である。

 オペラや楽劇のシナリオを見るにつけ「人間って変わってないんだな」と思う。それは聖書を見ても同じだろう。ことの善し悪しはまあ置いてくとして,確かに肥大してきた部分は数多い。それが最小限2人を単位とする世界に,あっけなく負ける。これが気持ち良い。ただ,現実に反映させるのは難しい。今,何してるんだろう,と,我に返ることなく,あれをしなくちゃ,これをしなくちゃ,あれもやりたい,これもやりたい。 

 祭りの空間は,永住の場所ではない。あくまで現実をやりくりするためのもの。わかってはいる。でも,まだ,これからも。


*それが生まれるとき-1998/9/12-

 久しぶりに部活に顔を出した。夏合宿の様子を見に,てけてけと河口湖畔へ。去年まではそこで楽器を吹いていた。いや,吹かされていた? まあ,どうでもいいや。

 完璧なアンサンブルを見たことが2回ある。ひとつは高校の時。あれは八王子高校のクラリネット四重奏だったか,ちと記憶が曖昧だ。曲はジャジーな「ブルールーム」だったような。最後にピアニシモに向かってディミニエンドする曲。ああ,もう,説得力ないな。でもトリオだった。これは間違いない。あまりに息が合ってたから「おのれ!デキとるな!」と訳の分からん盛り上がりを見せていたのを憶えている。とにかく,演奏は超一流だった。

 2回目を,見た。うちの部では合宿最終日の前夜に「お披露目」と称するアンサンブル発表会を行う。いわゆる降りメンが主役の会である。それの是非はここでは問わない。素晴らしい音楽が生まれる場なのだから,素晴らしい会なんだと思う。クラリネット四重奏。曲は,うーむ,なんだっけ。何とかのカプリース。チャーラチャッチャッチャーラリラッタプーンって感じ。いかん,これではおちゃらけコラムになってしまう。

 音が鳴り始めた瞬間,空気が動いた。全ての音が,ひとつの音楽を創ろうとしていた。そして,本当にひとつの音楽を残して,演奏は終わった。終われたのだ。終わってくれた!うれしかった。心の底から感謝した。誰に? 誰だろう。そこにある全てのもの?

 来週は,都大会だ。


*プレイヤーから聴衆へ-1998/9/27-

 ライモンダのCDを買った。古巣の部活が自由曲に選んだ曲だ。過去に一度やっているので「バージョンB」と呼んでいる。これがまたいい曲ばかりだ。ロマネスク,マーチ,バッカナール,賛歌・・・しかもトロンボーンがおいしい。普門館での東京都大会。聴くのは合宿中の通し練に続いて2回目だ。現役の時は良くも悪くも「OBって,なんでこんなに来るんじゃい」と思っていたので,こんなもんかと自分を慰める。時間があればもっと顔出してたな,きっと。

 さて,都大会に何しに行ったのか。応援はもちろんだが,目的は音楽である。ドキドキしながら足を運んだ。私に賞は関係ない。へえ,と思わせたもん勝ちだ(私限定)。専修なんかはいい音楽をしていた。絶対銅賞っていうパーツなんだけど,へえ,と思った。シンデレラが裸足で走る想いが伝わってきたぞ~。専修はこれから青山ごとき軽く抜き去るかもしれない。

 パーツが揃わないと金は獲れない。全国行きを決めた中央と亜細亜。パーツは揃っていた。ただ,残念なことに,ほぇ,と思ったのは亜細亜だった。なんとまあオケっぽい金管。数年前のスターパズルマーチを彷彿とさせる(ちとホメすぎ?)。きっと全国大会の演奏はCDで聴くことになるだろう。ほげ~,とたまげさせてね,我が母校。


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