「吹奏楽部の1日」へサイトのトップページへ

*聴く側の論理-1997/8/04-

 部活はまだオフ中である。が、今日はコンクールのお手伝いということで練馬文化センターに出向いた。東京都予選・中学の部が出場する回だ。私が担当したのは「楽器輸送」係。トラックから舞台袖まで楽器を移送する役目であった。ところがかなり楽な部門であることがすぐに判明。自前のティンパニ、バスドラを用意している団体がほとんど無いのである。B・C編成の学校はやはり予算的にも苦しいのだろうか。

 それはさておき、一番驚いた出来事は何かといえば、板橋第五中学校が出場していたということに尽きる。この学校は我が母校であるが、在学当時ブラスなんてものはかけらも存在しなかったのである。板橋第四小学校でブラスバンドに所属していた人(音楽の時間に選抜される。ちなみに私はスネア・シンバルであった)で、吹奏楽をやるために越境入学をしたものは珍しくなかったのだ。早速そばに行って声をかける。「いつできたんですか?」「去年です」「・・・・・・」、なんと、それでもうコンクールかいな。がんばれよ、その熱い想いとともに。

 朝から夕方までほぼぶっ通しの勤務。はっきりいって疲れる。それでも演奏を聴けるというのがせめてもの救いか。中学校の部予選であるからお世辞にも「巧い」とは言えない。とはいえ。音楽をしている学校というのはやはり聴いていてハッとさせられる。守りと攻めの違いだろうか。ウチなんかより「マーチらしいマーチ」を堂々と演奏している団体などには勉強させて頂いた。先生のおかげか、生徒の頑張りか、そんなことははっきりいってどうでもいい。流れ出る音楽が観客を魅了するか否か、ただそれだけだ。先生がぶん殴りまくっているバンドだろうが、仲が良いバンドだろうが、私は評価に差をつけない。演奏を聞いている瞬間はただの「聴衆」になるからである。もちろん、音楽を感じさせるには「アクション」や「表情」は捨てては置けない要素だ。ここでは「体制」の話しをしている。共産主義だろうが資本主義だろうが関係ない。


*オフ明けの狂騒-1997/8/06-

 ついに練習開始。束の間のオフが明け、学生最後の夏休みは“実質上”終わり。コンクールへ向けての猛練習の日々がやって来る。でも、あんまり後ろ向きじゃないんだよね。4年になってやっと自分が吹きたいように吹ける状態にまでこれたような気がするから楽しみでしょうがない。今まではキーを下げなきゃ歌えないカラオケのようなものだったからね。とまあ気合は十分なのだがいかんせん身体がついてこない。アンブシュアの感覚を固めるのにまだ時間がかかる。そんな状態のせいで合奏では無理をして吹かざるを得ない。練習終了後はアパチュアの調整だけしかできなかった。これをやらずに帰るといろいろ崩壊することになる。気がついた頃には手遅れという惨事は避けたいものだ。休み明けで金管はほぼ壊滅状態。サウンドも何もあったもんじゃない。また一からやり直しだけど、ポテンシャルは上がってると思う。あとは吹くのみ、練習は筋トレだ。


*コンクール・バンド-1997/8/10-

 もはやコンクール一色である。炎天下の中、屋外での練習は流石に堪える。今日何ぞはフラフラになり日射病かと肝を冷やすほど。とにかく吹く時間が長い。物理的にではなく精神的に長い。すべての練習をより完璧を目指し詰めていくからだ。曖昧なまま放っておくわけにはいかない。自分の出す音は「部品」であり、コンクールという場において欠陥品を聴衆にさらすことはできないのだ。よく「コンクール不要論」を唱える人がいるが、音楽するのにこれほど良い環境はないのではないだろうか。様々な機能を磨き上げられたバンドが想いをこめて演奏するコンクール。いかに自分が平生適当に楽器を吹いているのかを思い知るコンクール。もっとも悪い面を挙げればきりがない。吹奏楽に携わる人の多くがそのことを感じているはずだ。全然関係ないことをひとつ。某文教大学の学生指揮者(母校OB・元音大生)が北海道演奏旅行の録音テープを入手していた。一体どこから? ううむ、研究されている。


*ウィーンフィルとの共演-1997/8/15-

 コンクール・ロードを疾駆している我が部にとって最後のオフが過ぎ行こうとしている。お盆休みということで3日間のまとまった休暇。今日はその中日(なかび)だ。帰省する人、勉強する人、ただ寝る人、遊ぶ人。私は今のところ「寝る人」に近い。お墓参りに行く予定が延期の繰り返しで結局明日になってしまった。「お墓参りなのよ」という理由で断ったお誘いに未練を残しつつ本を読んだりビデオを見たり。

 17日は外部での練習開始である。コンクールメンツの金管セクションは9:15の集合で楽器は手持ち。よって自宅に楽器が置いてある状態だ。CDをかけて「ウィーンフィルと饗宴」という芸当もできるわけ。オケによってチューニングって違うのね、ということを実感できたりもする。休み明けからはノンストップ、先生レッスンに向けて全力疾走の日々。充電できるのか、果たしてこのオフ中に。


*-1997/8/18-

 個人レッスンに行ってから部活へ。演奏旅行後のオフ明けから無理をしてきたつけが、かなり溜まっていたようだ。決壊寸前の堤防みたいなものだ。危うく奏法を目茶苦茶にしてしまうところだった。日頃から気をつけていることほどネックになり易いのかもしれない。レッスンを受け解決の糸口は得た。といっても昔から言われてきたことなんだけどね。個人的な話しはこれぐらいにして部活の話題へ。そろそろ妥協が通用しなくなってきた。別に今まで妥協してのんべんだらりと吹いてきたわけではない。リズム・音程に関してのシステマチックな部分を整え、歌おうという気持ちを明確に持つことを要求されているのだ。さらに言えば楽器から出ている音と自分がイメージしている音とのギャップを埋める作業が急務である。まあしばらくは奏法を固めることに専念して無理だけはしないように努めるつもり。無理をしないと手抜きになるという状態をなんとかせねばなりませんな。


*人の和-1997/8/19-

 外部練習場での練習。楽器を運搬し、某市民会館の練習室で楽器を吹く。その際に不可欠なタスクが吹奏楽をやっている方ならば1度は関わることになる「積み込み」だ。団体の楽器をトラックに積み輸送するための作業は概して早朝に行われることが多く、かなりつらい。大学など学年が存在する団体では下級生が担当するのが常である。それなりに楽しいこともある積み込みだが、コンクールという状況下に置かれた団体にとっては、つきつけられた匕首になりかねない。我が部の話しをしよう。大学の部は一般・職場の部と違って出場人数に制限がある。したがって、1つの部活の中で出場する人とそうでない人が同時に同じ練習場で活動することになるのだ。ここに様々な問題が浮かび上がってくる。コンクールに向けての活動であるから、合奏の時間つまりホールで吹ける時間は出場する人の方が圧倒的に多い。合奏に参加していない人は狭い練習室での練習を余儀なくされる。しかし積み込みを行うのは下級生、出場しない人がほとんどだ。「これでは積み込み要員ではないか」という声があがるのも当然であると言えなくもない。


-つづく-

*コンクール再考-1997/8/21-

 前回の続きを書こう。結論から言えば「何でそんなにマイナス思考なの。もっとプラス思考でいこうよ」、ということである。下積みとして活動することに不平をもらすのはいい。それはごく自然なことであるし誰でもやっていることだ。まず私が指摘したいのは、そのとき生きている自分、つまり積み込み要員としかいえない状態で部活に参加している自分を価値あるものとして認識しているかどうかという点である。「人にはそれぞれ歩む道がある。自分にしか歩めない道が」という松下幸之助の言葉を思い出さずにはいられない。

 今日は先生レッスンであった。コンクールに向けての合奏としては初めてのものである。今までは学生指揮者が中心となって音楽作りをしてきたのだ。内容については企業(学校?)秘密だ。個人的なことを言えば、某埼玉の大学やら某神奈川の大学やらのトロンボーンセクションと立派に渡り合えるぐらいにはなっておきたい。どこも課題曲が3なのですぐに力量が明らかになるもの。結局、我々は聴衆を魅了するために日々頑張っている。「スゲエ」のひとことが聴きたくて頑張っている。ネガティブな理由の方が多いくらいだけど、ね。


*ナンパじゃないって-1997/8/26-

 予選前の追い込みがいよいよ佳境を迎えつつある。これから予選本番まで先生レッスンでの合奏がほぼ毎日行われるのだ。これが楽しい。が、苦しい。テンションを保ったまま3時間以上吹きっぱなしはさすがにこたえる。うまく吹こうとすればするほど身体だけが疲れていく。アンブシュアがなんともないのにおなかの支えがヘロヘロで音にならない。そんなとき、ちょうど練習は終る。もう何日か経てば疲れの問題が少しずつ改善されていくに違いない。

 学校見学の日だったようで、数人の高校生がいつのまにか客席に座っている。もちろん最初は何者かまるで分からない。なんだなんだと思いながらも練習は続く。休憩時間にそばに寄っていってさりげなく質問。「今やってた曲って今年の自由曲なんだけどどう思う」「え、どう思うって・・・」「いや、初めて聴いて楽しめる?」「あ、もう、感動しました」「まあ熱い曲だけどね」などと少々話し込む。ステージに戻ると「なにナンパしてんだよ!」と突っ込まれた。それはさておき、他人の評価が知りたかったんだろうな。まるっきり他人の評価が。人間だもの、いつだって安心したいよ。


*予選当日-1997/8/29-

 ついに東京都予選。これを書いているのはまさに家を出ようとする8時54分である。うなぎ上りの状態が果たして今日の夕方まで続くかどうか。昨日の練習終了後には吉川ひなののロケ現場に偶然居合わせるという幸運にみまわれた。はっきりいってなんの関係も無いのだがそこはそれ。かわいかったですよ、吉川ひなの。「ひなのナマ声」を聴いてしまったし。しかし彼女で「あれ」なのだから篠原ともえだったりしたら卒倒してるかもしれない。おっともう時間がない。伝説の始まりに、遅刻は不要。


*祭りの後-1997/8/30-

 予選が終わり、帰宅した頃には日付が変わっていた。ふたを開けてみれば文句なしの都大会推薦であったが、部員一同肝を冷やした。金賞が7つあったのだ。都大会に出場できるのは6団体。例年金賞受賞校がそのまま駒を進めるのだが、ごくまれに銀賞受賞校が行くこともある。一方金賞を受賞しても次に進めない場合を「ダメ金」と呼ぶ。私たちのプログラムナンバーは24、最後から2番目だ。下馬評通りの成績が次々発表されていくうちに、6個の金賞がすでに出ていた。「そんなはずは」と思いつつ、最高の演奏とはお世辞にも言えなかっただけに血の気が引いていく。そして「ゴールド金賞」の声。歓声ではなく安堵の声がホールに響いた。それでも血色が良くなるにはまだ早い。全てが終わり、合い言葉は「合宿で!」

 これから胃の痛い日々が続く。31日オフの後すぐに練習開始だ。正直最高学年でのコンクールでこれほど精神的負担が多いとは思わなかった。楽しくなるまで苦しいな。都大会は楽しめるだろうか。ここに向けて6校が死力を尽くして練習することになる。受験にたとえるならばセンター試験終了後の追い込みのようなものだ。だからこそ何が起きても不思議はない。だが勝算がなければこんなことこでのうのうと内情を書いたりはしない。あるから書くのだ。どんなことでも人に言っているうちは事態はそれほど深刻ではない。口をつぐみ始めたときが、終わりの始まりだ。


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