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*合宿への助走-1997/9/02-

 予選を終えた我々の次の関門、それは東京都大会本選である。その本選前には夏合宿があり、そこで徹底的に音楽が練り込まれていく。夏合宿はコンクール対策としての性格が強いのだが、すでに決定している定期演奏会の曲を合奏したりもする。あまつさえマーチングの練習までしたりするのだ。毎年マーチングの練習を廃止しようという案が出るものの、私が在籍している間は実現しそうにもない。はるか昔はステージドリルなどもやっていたようだが今となってはできるわけもなく、依頼を受けたときに対処できるように練習に組み込まれているにすぎない。練習しているとはいってもまともなマーチングを行なうことはまず不可能というのが実状である。他にもあんなことやこんなことも合宿ではやったり起きたりする。さすがに4年ともなると大人しくしているほかはない。今年は早寝早起きしますよ。


*東の横綱-1997/9/14-

 合宿が明け、ついに都大会まで残すところ1週間を切った。全国大会へのチケットはわずかに2校分。亜細亜・駒澤・立正といった面々とやりあうことになる。しかしはっきりいって気にはしていない。気になるのは「名演が生まれるかどうか」「神奈川と張り合えるか」ということだ。地区大会での神大の演奏を聴いた人ならわかるであろうが、あの課題曲3は凄い。自由曲のイベリアも凄い。何がどう凄いってそれはもう凄いのだが、とにかく色が見えるのが凄い。なんだか凄いばかりで恐縮だがそれぐらい凄いということだ。我々の今の演奏はまだ聴衆に色を伝える程ではない。


*打ち勝つべきライバル(?)-1997/9/06-

 連日やや厳しめの練習が続く。他大学がしている練習の凄まじさを知っているのでこんな表現しか使えない。某神奈川の大学は相変わらず巧い。メカニックは完璧である。機能的に磨き上げられたバンドというものはそのサウンドそのものが感動を呼ぶ。はっきりいってかなわない。が、メカニックでかなわないのはまだましと言える。技術なんてものは練習すれば必ず改善されるからだ。それをつめるのが合宿である。じゃあ大丈夫かというとそうでもない。自分たちが必死に練習している間、彼らがのんびりと休憩をとっているわけはないのだ。不慮の事故により昨年のコンクールを辞退せざるをえなくなった彼らの気合は計り知れないものがある。鬼気迫る演奏にゾクッとするが、それが感動からくるのか恐怖からくるのかよく分からない。戦慄を覚えつつも、合宿はすでに目前である。


*風の前の嵐-1997/9/19-

 「音楽における奇跡とは」と問い掛けられたとしたら、いったいどんな言葉が浮かんでくるだろう。聴衆のスタンディング・オベェイション、奏者が全員号泣、ティンパニスト舞台から消える(実話)、こんなところだろうか。今日は先生レッスンだったのだが、「こういう不安なところが全部うまくいったら奇跡だよ」とおっしゃっていた。その言葉を聞いた私は思った。一人一人の奏でる音楽が、全体としての音楽に常にプラスに働いたときに生まれる演奏こそが「奇跡」なのだ、と。本番でそれを成し得た時、Mayのbreezeはstormになる。


*芝生からの星空-1997/9/20-

 ついに明日が本番。全日本吹奏楽コンクール東京都大会が普門館にて行なわれる。私達の出演順は大学の部のトリである。ということは発表も一番最後ではないか。「駒沢大学吹奏楽部、ゴールド金賞!」「亜細亜大学吹奏楽部、ゴールド金賞!」「・・・・・・」などという悪夢にうなされそうだ。だが、我が部としては最大限可能な限り手を尽くしたと思われる。もはや結果は関係ない、わけがない。出るからには全国へ駒を進めついでに金賞とって凱旋したいのが当たり前だ。個人的に不安で仕方が無いのはあの普門館の音響。鳴らしても鳴らしても聴いている方には物足りなく聞こえてしまうのがおちだし、汚い音はそのまま耳を刺す。あ~心配だ。その視点からすると駒澤が恐い。予選の時のサウンドをそのまま丸めたらかなりのものだ。いや、これは過大評価か。亜細亜の自由曲は個人的に好き。ぜひ全国に来てほしい。

 結局のところもはやメンタルな部分に負うところが大きい。そこでタイトルどおり何人かで芝生に寝転がって星空を見ながら雑談したってわけ。出場している4年生のほとんどが総決算のつもりで臨んでいる。自由曲の終曲、「偉大なる都市への賛歌」でむせび泣きたいものだ。


*専守-1997/9/22-

 全国大会へのチケットを手に入れ新宿へと凱旋、そして狂乱の宴は思い出になった。「プログラム1番、駒沢大学吹奏楽部・・・銀賞」「!!!」。コンクールに出場した者の多くがその手に汗を握り、目を閉じて椅子の背もたれに身をあずける。亜細亜も銀賞と来て、今期台風の目となった立正の発表が迫る。「プログラム4番、立正大学吹奏楽部、ゴールド金賞!」、私達の後方で歓声が上がる。心の底からの喜びはうらやましくさえあった。挑戦者が勝利を手にしたときの歓喜を目の当たりにした瞬間、誰もがその意味を計ろうとした。金賞がでるのは2つ。現時点であと一つ残っている。次の発表は青山大学。高校の部でのシンデレラストーリー、一般の部での新世紀の幕開け、もはや何でもありの様相を呈していた今大会。彼我の力量を冷静に比較したとすれば安堵してもいい状況ではあるが、しみのように残った不安は依然として消えない。「青山大学吹奏楽部、銀賞」、発表前に消去法によって結果を悟った私達の視界を我が部の代表者2名が歩いていく。そして、金賞。叫ぶ者、涙を流す者、脱力する者。まだうすいもやがかかっているような錯覚に支配されながら、時が過ぎていくのを眺めやる。

 演奏中、トップ側からの音量がやけに大きく聞こえる。「開き直ったな、ならば、」と、とにかく鳴らす努力をする。ともすれば守りに入ってしまう自分に気づく。普門館で1番危ないのはまさにこれである。演奏終了後にやや沈んだ面持ちの部員が多かったのは何を意味していたのだろう。全国大会での演奏に守りは必要ない。今度は我々が挑戦者だ。


*知恵の輪-1997/9/27-

 久しぶりに「天国と地獄」を合奏した。北海道での演奏旅行からすでに2ヶ月余りが経過している。その間この曲に関して何にもしていなかったがいざ吹いてみてびっくり。2ヶ月前に出来なかったことがいとも簡単に出来るようになっている。以前ならバテて吹き切れないようなテンションで吹いても支障が無い。ほう、少しは上達したようだ。定期まで後2ヶ月ある。このままの勢いで練習すれば、自分で納得のいく演奏に1歩近づけるかもしれない。そう考えると4年になる前の3年間、なんとまあマズい練習をしてきたことか。いや1年の時はガムシャラにやっていたような気もするな。2年の時も結構吹いていたし。となると3年か。「去年もう少しやっていれば」と、今この時に後悔しているのは幸せなのかもしれない。なぜなら私はまだ現役だから。


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