1997.5/2

 そろそろ第二の山場。書類提出と説明会の嵐。睡眠時間が急激に減少しています。マークシートを書いている最中に数秒寝てしまい、記憶に無い場所に訳の分からん黒丸があったりするのは困りもの。何とか眠気を振り払って先へ進むと今度は腕が痛くてしょうがない。ディスカウントショップとかで「低周波治療器」を見るとついほしくなってしまう。持ってる方いらっしゃいます? あれ最高出力にすると拷問装置になりますよ。閑話休題。就職活動に癒しのグッズは必需品ですよね。「これが良い!!」というものがありましたらメール下さい。明日は新入生歓迎コンパ。もう寝ちゃおうかな。(25:56現在)

1997.5/13

 次の日が部活の合宿というときの前日。

「あー、日経ホーム出版社と文藝春秋の書類書かなきゃなぁ。」

 夜が明けて空が白んできた頃。

「うきゃー! なんじゃあこの文章は!!!」ビリビリビリ。文藝春秋ごみ箱へ...

 とまあ、相変わらず書類の提出ラッシュが続いています。二次面接の日程変更を希望していたPHP研究所はやっと連絡がきました。「27日です。」なんとまあ、最初は12日だったのにやっぱりまわされちゃったのねグスン、といったところ。でも交通費を出してくれるそうで感謝。ということは一次で結構落ちてるのかな。京都にいってついでに観光してこようっと。独りなのがちょっとさみしいけど。最近まわりが賑やかになってきて、青田ルートにのっている人や動きの早い企業を回っている人に内内定が出始めている。縁のある企業にさっと巡り合いたいもんですね。そして今もこつこつ資料請求を続ける私。惚れてしまえば勝ちですよ、多分。


1997.5/15

 第三次セミナーラッシュ。一次試験も目白押しだ。今日はナガセとアスキーからTEL。どうやら通ったらしい。ナガセに行ったときはディスカッションだったんだけど、司会に立候補した人が墓穴を掘っていた。よっぽど自身のあるテーマじゃない限り手を出さないほうが無難なのかしら。そういえば、ソフトバンクのディスカッションは少し毛色が違った。いわゆるコンセンサスゲームってやつ? アスキーも一般常識問題、無茶苦茶だったのに。作文の出来が良かったのか!? うーん、手応えってのは当てにならんな。いや、まてよ、まだ電話の内容を聞いてないからな。もしかして不合格の電話だったりして...


1997.5/17

 徹夜で出した志望書類が玉砕(日経ホーム出版社)。でも郵便通知っていやですね。封筒をそーっとあける。ちらと見える「誠に...」。なんじゃー!「誠にもって素晴らしい」と言いたいのか!!! 

 再び書類の提出ラッシュで慌ただしくなってきました。集英社、講談社、角川書店etc... 海千山千のつわものどもが集うのだから受かる気がしないです。淡々と筆記対策をしつつ思策にふける毎日。今日久しぶりに大学のゼミの友人と顔を会わせたのですが、「まだ部活やってんの?!余裕だねぇ」なんて言われてしまいました。好きでやってるから良いのさ。音楽でストレス解消してんだもん。


1997.5/19

 日経BP社のセミナーで爆睡。なかなかに良い話しを聞かせて頂いたのだが、いかんせん睡眠不足と疲労には勝てなかった。やはり私はパソコンと関係のある出版社に行きたいようで、かなり志望度は高い。理系の人を対象にしたセミナーが4月にあって、そちらの方は敗退。しかし専門性を重視するBP社だけあって、理系の人の方が鋭い質問をぶつけていた。質問をした人の言動によって大体どんな戦いになるのかはわかるが、今回はやや低レベル。就職活動も半ば(青田の人には終盤)に差し掛かっているというのにまだ敬語・TPOが十分でない人が多いのはどうしたことか。ま、そんな人でも素晴らしい能力を秘めていればどんどん進んでしまうのだけれど。ただそこまで凄い人ってそうはいない。だったらせめて最低限のマナーは身につけておいたほうが良いと思うのですが。


1997.5/20

 アスキー1面接。2:5の集団面接だった。自分と同じく吹奏楽をやっている人と同じ回になりやや焦った。セミナーのときに書いたエントリーシートと履歴書に基づいて、1番始めの人に容赦無い突っ込みが入る。うひょー、いきなり圧迫面接だ。どうやら現場でバリバリやっている人のようである。「お金になるの?」「それって売れるかなあ??」いちいちもっともだ。メンバーの中にはウェブマスターが私以外に2人いて、そのうち1人は「1日に100人以上の方が見てくれます」とのたまっていた。うーん、このページはせいぜい5人ぐらいだ。そして自分の番。企画には自信があったのでやや余裕か。なのに「最近興味があることは?」と来る。いきなりパニックに陥り、「パ、パソコンに関してですか!?」と聞き返してしまう。「いや、なんでもいいですよ」。まずインターネットについて軽く話す。「他には?」、げひょー何かないか何か...で口から出てきたのは「演奏会に行くことです!」 ぎゃー、なに言ってるんだ俺。「最近では各地に音楽ホールができ...」 ああ、ドツボ。しかも無意味なフォローは続く。「いろんなところで行われる演奏会の情報を仕入れて出向きます」とか言ってなんとかまとめる。いかんこれでは落ちる。ただ、「プログラミングはやったことあります?」って聞かれたときに「中学生からやってました。なんせまともなソフトが無い時代でしたから」と言ったらこの面接で初めての笑いがおこったのがせめてもの救いか。結果は26日に出るようだ。


1997.5/23

 CSKの会社説明会に行ってきた。真剣に事業展開について話していたのは、かなりの好印象。やっぱりソフトウェア会社は独立系がいいな、と思う今日このごろ。ユーザー系でも受注比率が偏ってないところを主に回っている。活動開始直後の「出版志望」も徐々に変化し、今では「コンピューターに関われる出版志望」にほぼ固まりつつある。CSKは文句無しの大企業で、事業展開の計画も社員数もピカ一なのですが、かえってそれがネック。どうやら私はベンチャー志向が強いようだ。だからといって「社員数20人」とかいうのはやはり敬遠してしまう。うーん、話しが外れた。えー、それで今日の選考ですが、講演の後SPIです。今日のSPIはやけに簡単で、正々堂々落ち着いて解答できました。その後簡単な性格検査。アスキーでやったものと同じやつ。結果は2週間以内とのことだが、どうやらこの会社はその辺がアバウトのようなので、ま、気長に待ちますか...


1997.5/24

 ナガセの人事部長面接に行って来ました。さすがに無茶苦茶緊張しましたね。朝っぱらからのブルーをはね退けるために大声で歌いまくった後、大雨の中出陣。駅で買った日経を読むために入ったマックではアンケート調査を受け少し焦る。調査員の女の子が理系の大学1年生のようで、「なにかやっておいたほうが良いことありますか?」とか「3年後どうなっていると思います?」などと聞かれてしまった。ハンバーガーのロハ券をもらい、ナガセに突撃。どーんとぶつかってきたつもり。終わった後に控え室に戻り「ふーっ」と深呼吸。順番を待っている戦友たちと会話を交わし、「ご縁があったらまた会おう!」と言い残し帰路につく。果たして連絡は来るのか?


1997.5/25

 NCSという名の会社に行く予定であったが、朝、目を覚ますと「う、起き上がれん!」。前夜の長電話が効いたのか、溜まっていた疲労がついに爆発したようだ。久しぶりのセミナーブッチ。しかしこの会社も良く分からない会社で、社員数が200ちょいなのに今年度の採用予定数が200人! 一気に社員が倍になってしまうではないか。店頭登録もしていて資本金も10億を超えてはいるのだが。日程的には他の日もあるので、事情を話してもう一度エントリーしてみようかな。事業内容はなかなか魅力的だしね。
 火曜日のPHP2次面接へ向けて図書館で調べものをした。日頃から接する機会が多い出版社だが、いくら知りすぎても知りすぎるということはない。2次面接とはいえ結果次第では即内定が出るという情報を手に入れたので、かなり気負っているところである。と同時に会社に費用を負担してもらって京都旅行に行くという見方もでき、楽しみでもある。まあ次の日は日経BPの筆記試験なので、そうのんびりしてもいられないのだが。

1997.5/27

 PHP研究所二次面接。交通費を出してくれるということもあり、半分観光気分で京都へ。そびえたつ京都本部の前を一度通りすぎて別館の方へ行ってしまう。いかんやはり動揺している。それもそうだ、二次とはいえかなりウエイトが大きいと聞いている。緊張の絶頂に達し受付のお姉さんに声をかける。素晴らしい対応、暖かみのある案内、さすがPHP!! と感動している私の前に封筒が。「交通費は一律支給となっておりますが少なすぎるということはないと思います」。どれどれ・・・どひゃー!!25000も入ってるぅぅぅ!!! これじゃあおつりがきちゃうぜ。ありがとうPHP。内心「儲けた!」と思いながら控え室へと向かう。人事部長さん自らが「ではこちらへどうぞ」とお声をかけて下さる。案内された先は重厚な木の扉の前。「ノックをしてお入り下さい」とのこと。ためらいながらも意を決してノック。ドアを開けるといかにも役員クラスといった方々が3人いらっしゃる。「東京からわざわざお越しくださりありがとうございます」ともったいないお言葉。そして面接開始。今までの失敗を生かしつつ、素直に自分を出していく。完璧だ・・・そう油断した瞬間、「作ってみたい本と書いて欲しい人を言ってみて下さい」。どぼへー!それは新幹線の中で考えていたにもかかわらず結局うやむやにしてしまった課題ではないか。無理矢理ひねり出す。「CD-ROMで情報が検索できる・・・」「あれ、単行本が作りたいんだよねぇ?」 ま、まずい。なんとかせねば。「宗教とはなにかという本はどうでしょうか、書いて頂く方は故人となってしまいましたが・・・」 ん、えーとなんて読むんだっけ、漢字は頭に浮かぶんだが(ちなみに京大の故高坂正尭先生)、えーい音か訓か丁か半かじゃあ!!「たかさか先生に・・・」「どこの大学ですか?」「え、京都大学の・・・」 しまったぁぁぁ!!! 賭けに負けたではないか!!!! 真ん中の面接官が「あ、こうさか先生ね」 終わった・・・。スゲーブルーになりながら部屋を出る。ブルーなまま清水寺を観覧。ほんとに飛び降りたくなっちゃうぜ。東京に帰ると通過の知らせがきていた。何故、Why? ちなみにナガセも通過していた・・・

1997.5/30

 再び車上の人に。さすがに、二回目の京都はただただ遠いだけの地であった。午前中、毎日コミュニケーションズのセミナーに出席し途中で退席。「筆記試験を受けられないのですが...」「それではこちらからお電話差し上げますので」。うーむ、ホントに電話来るかねぇ。普通のひかり号では間に合わないことが分かり、急遽のぞみに変更。開始時刻10分前に京都に到着。PHPの門をたたく。控え室に入ると独りの女の子がいた。一次のディスカッションからの人らしい。え、じゃあ俺は一体どういうポジションなの? やや混乱していたところに「ではどうぞ」の声。
 面接の経緯は悲惨だった。「どれくらい本を読むの」という前回もあった質問。面接官の顔ぶれは違う。「えー、30冊ぐらいは」「ふーん、でもね1日一冊でしょ。無理があるじゃないの?」「いえ、通学時間が長いので・・・」「でもそれは読んでるんじゃなくて眺めてるんじゃないの?」 げ、図星。この調子で散々突っ込まれる。終了後、観光をする気力も無く肩を落として帰宅。1番古い新幹線の車両でリクライニングができない。寝違えて首を痛めながら東京に着いたときにはもうボロボロ。「今回はご縁が無かったということで」という幻聴が頭の中を駆け巡っていた。ちなみに家に電話はきていなかった。一応期限は6/13なんだけど。前はその日に来たではないかー!

1997.5/31

 ついに5月が終わろうとしている。手駒が無くなる恐怖に襲われて、セミナーの予約を入れまくった5月が。今からでも遅くはない企業がいくつかはあるだろうが、体力・気力ともに限界に達しつつある。事実志望順位が上位だった日経リサーチ社のセミナーを、体調不良により欠席。案内状には「一度申し込んだ日時の変更はご遠慮下さい」の一文が...。えーい、なんとか変えてもらおう! と思うくらいの気力さえも残っていなかった。最近の「後悔しちゃうぜランキング」でいうと5位ぐらいだ。堂々の1位は当然「月に30冊は本読んじゃうもんね」発言かな。小学館の志望書の〆切が近づいている。なかなかコンピューティングに積極的な会社ということもあり大手出版社のなかでの第一志望。気合で提出しなければ。書類選考ぐらい突破しなくては。選考無しで受験できるのは講談社ぐらいだもんね。集英社は筆記がハイレベルの上に倍率が高い。行きたいということであればそんなことは関係ないが、志望動機が弱い。「槙村さとるのファンです」なんて理由で受験できんわなぁ。

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